星屑の革紐 | 1
どんな時だって忘れないわ
あなたと共に歩む道がそこにあること
オリンポス祖神の一人にして十二神の長の御名はゼウスという。
稲妻をもつ彼は神々の長でもあるが、その立場を利用し、
『世界の安寧のため』との大義名分を抱えて数々の女性と交わり、
多くの子をなした。
要するに下半身に節操のない男だったのである。
そんな彼の正妻であるヘラ様は妃という身分と引き換えに身体を許し、
正式に結婚した。
けれど彼はそれを逆手に取り、決して他に妃を迎えなかった
――愛人はいっぱい設けたが。
そんな夫と珍しく玉座を並べていたヘラはふてぶてしいゼウスの横顔を眺めながらめいっぱいため息をついた。
「なんだ、ヘラ。俺の顔を見ながら」
「早まったと思っておったのだ。なんでそなたのような下半身に身を許したのかと思っておったのだ」
「ひとを下半身みたいにいうなよ」
事実そのとおりなので本当は反論できるはずもない。
ゼウスは釈然としない何かを感じながら髭を撫でた。
ヘラ様がそのようにお考えになるのには理由があった。
オリンポス祖神のうち、長子でありながら末弟となっていたハーデスがこのたびめでたく結婚する事になったのである。
長いこと独身を通していた彼が突然『結婚したい娘がいる』と言い出し、その娘もやっと了承してくれたのだ。
本当におめでたい。
おめでたいからと、ゼウスとヘラはその娘に会いに行ったことがあった。
亜麻色の髪に美しい黒曜石の瞳、しなやかな手足を持つその少女をヘラはハーデスの嫁御として気に入った。
冥界という深い闇に暮らす彼の手を迷わずに握ってやれる、優しい少女。
彼女ならハーデスを支えてやれるだろうとヘラは思わず目元を拭ったほどだ。
しかしゼウスは違った。
彼はいい女と見れば姉妹だろうが人妻だろうが構わずに手を出した。
だからヘラはものすごく心配だったのである。
ハーデスの嫁御がゼウスに食われはしないかと。
実際、彼はハーデスの姿を借りてその少女を食いに行ったこともあるのだ。
そのときはハーデス本人とヘラで撃退したくらいだ。
ヘラ様のため息は一層深い。
「姫御が羨ましいな。わらわもこのような男と結ばれずにハーデスと一緒になっておった方が賢明であったかのう」
「お前は冥府じゃ暮らせないよ」
ゼウスの反論にむっとしながらも、ヘラはふんと顔をあげた。
彼女は生まれながらに女王体質だったのであるから、そういう意味では多くの神々に傅かれる現状に満足しているはずだ。
しかし仕事と結婚生活とは別なのである。
ヘラは浮気を繰り返すゼウスとの間に三人――ヘパイストスをいれるなら四人――の神々を設けたが、
愛人とその子を苛まなければやっていられないほど彼女は妻として疲弊していたのである。
その観点から言えばハーデスは職務に忠実で、誰もが忌避する死の世界をうまく纏め上げている。
浮いた噂も女性を乱暴したという話もない、実に清廉な性格の持ち主。髪型がお茶目なことくらい可愛いものである。
冥界そのものは陰鬱な場所だがハーデス自身はそりゃあもう男としては問題ない存在だ。
「ハーデスは不思議と恋愛からは遠い存在であったからなぁ。あーあ、惜しい事をしたかな」
「なにが言いたいんだ、ヘラ」
「……やはりあなたの脳は下半身にあるのだな。わらわはアンドロメダの姫御に手を出すなと言うておるのだ」
やっと幸せになれるハーデスの為にも、そして姫御の為にも。
ああそういうことかとゼウスは納得した。
しかし納得したからといって引き下がらないのがゼウスという下半身なのであった。