彼岸花 〜冥瞬戦国絵巻 | 4

「瞬、庭くらいなら歩き回ってよいと言ったではないか。そなたは客人なのだぞ。まあ、ゆくゆくは想い人となって、それから余の奥になってくれればと思っておるが……」
「は、はあ……」
いきなり入ってきてわけのわからないことを言うハーデスに、瞬はおもいっきり引いた。
それはどんな未来絵図なんだろうと少しあっけに取られながらも、瞬はお散歩しようと差し出されたハーデスの手を取る。
「いいんですか?」
「なにが」
「私が間諜だと思いません?」
瞬がそう問うと、ハーデスはただかんらと笑い出した。
「そなたは間諜できるほど器用ではあるまい」
行くぞと手を引かれ、瞬はからころと下駄を鳴らしてついていく。
季節は実りの秋――稲刈りの時期なのでどこの国でも戦は少しお休みだ。
故国でも今頃稲や麦を刈り取っているのだろうか。
「国に帰りたいか」
「帰りたい……帰って兄上や沙織さんに会いたい、みんなに会いたい……」
戻ることはもはや叶わぬだろう、懐かしい山野を思い、瞬は寂しさで顔を伏せた。
どんなハーデスが慰めてくれても消せない望郷の思い。
戦場を駆けているときはまだ良かった――これが太平に繋がると信じたから。
薄紅色の姫武将、今は冥王の手の中。
「そなたの望みならなんでも叶えてやりたいが帰すわけにはいかぬ。まだ共寝もしておらぬのだぞ?」
「しません! そんなことっ」
ぷいとそむけた顔がほんの少し朱に染まる。
可愛いなと思う、その唇で冗談だと言いながら、ハーデスは紅に染まりゆく自国の山野を見つめていた。
「そうだ、そなたに見せたいものがある」
「え、なんですか?」
「ふふ、ついてこい」
そう言うとハーデスはまた瞬の手を引き、館に戻っていく。
正門を通り過ぎるときも門番たちの顔はどこかにこやかで、まるで微笑ましいものでも見ているかのようだ。
そんな扱いに瞬も流石に面食らう。
ずんずん進んでいくと広間に出た。そこで数名の侍女たちが綺麗な着物を広げている。
沙織のそれに勝るとも劣らない、豪奢な品々に瞬はまた驚きを隠せない。
「あの、これは」
「そなたのために選んだのだ。いつかそなたと、今のように一つ屋根の下に暮らせると思ってな」
するりと部屋に入り、飾られている錦や絹に手を触れる。
侍女達はハーデスの指示により、ふたりだけを残して退室していった。
瞬にはそれらに触れることさえ禁忌のような気がして、部屋に入ることすら出来ない。
「こら、何をしている。そなたのだぞ」
「い、いえ、私には」
けれど傍らに袖を通すこともなく飾られたままの綾の小袖もまた、瞬の女性を呼び覚ます。
瞬はハーデスに促され、部屋に入った。
「あ、あの」
「さて、アテナはそなたに綾のひとつも恩賞にやらなんだと見える」
くくくと小さく笑いながら、ハーデスは手ずから小袖を取ると、ふわりと瞬の肩に着せ掛けた。
亜麻色の髪に、白く美しい肌。
なるほど戦場で散らせるには惜しい花だ。
「袖を通してみよ。遠慮は要らぬ」
「私を懐柔してどうするつもりですか? 何をされても情報を流したりはしませんよ」
「そんなことは期待しておらぬ。そなたはただ余のそばにいればよい」
「そんな私に何の価値があると?」
瞬が厳しくハーデスを見つめると、彼はまた苦笑した。
「言ったであろう。戦場でそなたを一目見たときから惚れたのだと」
「で、でもそれだけなのに」
「それだけでいいのだ」
言うなりハーデスは瞬を抱きしめ、その唇を奪った。
「!」
口吸いは、瞬の魂さえ奪うかのような錯覚を覚える。
「い、いやっ」
「ふふ、可愛いな」
やがてハーデスは仕事だからと瞬のそばを離れた。
彼がいなくなってから、瞬はぺたりとそこに座り込む。
戦場のど真ん中で惚れた腫れただのと、よくもまあ言えたものだ。
得体の知れぬ感情を我が身とともに抱きながら、瞬はぽろぽろと涙をこぼす。
かわりに冥王手ずから選んだという紅色の綾の小袖に身を包み、ちょこんと座っている。
「い、いや……」
これ以上私に触れないで。
瞬は我が身を抱いて泣いた。


私に触れたら、みんな死んじゃうから。
ダイダロスも――そして、ハーデスも。



死んでほしくないと、思ってしまったとき。



血が噴出し首が飛ぶ阿鼻叫喚の戦場で、彼女は再び冥王と相対する。